信州最古の醸造蔵

basic principle基本理念

1534年から続く飯田の味を醸し出し、食事と言う1日の貴重な時が「幸せな時間」となりますよう、しょうゆ、みそ、味噌漬を基本に全国のお客様へお届けして参ります。

1534年創業より、480年余続く南信州飯田の老舗として、しょうゆ、信州みそ、山菜漬物、全て自社工場にて、国産原料の仕入、加工、熟成、製品に至るまで、手仕事に拘りを持って造っています。長野県内では信州の老舗第2位として認定されました。
丸大豆しょうゆ、信州二年みそ、山ごぼうのみそ漬など、昔ながらの老舗の味で皆様に喜んで頂いています。

また地元長野県南信地域を基本として他県に渡りホテル飲食店様、食品加工会社様などでも御愛好頂いております。

基本理念イメージ

history松岡屋の歴史

1534年(天文3年)に穀物問屋「松屋」として創業し、

飯田城下旧市街本町一丁目(現在で長野県飯田市本町一丁目信金付近に相当)

にて塩や穀物を仕入れ販売し営み始めた。その頃、借家経営もしていた。

しかし1799年6月、借家住人の失火により、本町一丁目から松尾町1丁目まで160件を焼く大火、松屋火事として処理された。第9代であった小塩安兵衛はその責任をとり、当時一等地の本町を離れ伝馬町に移転。

1818年名称「松岡屋醤油店」として飯田城下旧市街伝馬町一丁目

(現在で長野県飯田市伝馬町一丁目八十二銀行付近に相当)

にて醤油、味噌を製造し開業した。

なぜ穀物問屋から醤油、味噌製造業となったのか。恐らく、穀物でも当時は温度管理できる環境がなかったため保存が難しかった。塩も扱っていた事もあり、保存食である醤油、味噌に加工することで営業効率上げ発展しようとした事が要因であると考えられる。

写真記録があるのはこれ以降。(当時の写真)

1947年飯田大火災が発生し被害にあう。

蔵がほとんど燃えてしまい、参考資料なども多く失われた。下記写真は焼け跡から出てきた一升徳利(表、裏)。焼け跡がくっきりと現れている。

1950年名称「有限会社 松岡屋醸造場」として法人化し、

長野県飯田市今宮町三丁目70番地にて醤油、味噌、漬物を製造し開業した。

創業から15代に渡り、480年余経過して現在に至る。

松岡屋の歴史イメージ

information歴代社長紹介

創業イメージ

※無事残っていた過去帳(没年を書くもの)から紐解いた。

1~7代(1534年~1710年)名前は不明ではあるがおそらく襲名していた事が予想される。

8代 小塩安兵衛 (明和9年)1772年11月2日に亡くなる。

9代 小塩安兵衛 (文化13年)1816年8月25日に亡くなる。

松屋火事の責任をとる。当時一等地の本町を離れ天馬町に移転。

10代 小塩喜兵衛 (安政5年)1858年9月27日に亡くなる。享年57

1798年頃誕生し、20歳の頃、1818年(文政元年)伝馬町で「松岡屋醤油店」を開業。

小塩喜平イメージ

11代小塩喜平

(明治35年)1902年1月31日に亡くなる。
享年67

小塩万次郎イメージ

12代小塩万次郎

(明治元年)1868年11月2日誕生。(昭和21年)1946年2月9日亡くなる。享年78
17歳で養子入り、小塩家を継ぐ。

13代小塩禄郎

(明治29年)1897年4月5日誕生。(平成2)1990年7月6日亡くなる。享年94
11人兄弟の長男。20歳頃と会長の頃。一升瓶を片手に箱なしで5本持つなど 伝説あり。老後は草野球など多趣味で活発な人柄。飯田の文化歴史の伝承に貢献するなど晩年は文化活動に勤しんだ。

14代木下国光

木下国光(昭和7年)1932年1月1日誕生。2003年12月7日亡くなる。享年72

しょうゆの品評会にて農林水産大臣賞を初め、数々の賞を受賞。ヒット商品「松錦」を開発。

木下拓イメージ

15代 (現在社長)木下拓

(昭和34)1959年7月8日誕生。
現在の代表取締役(社長)。
地元の原料のみを使用した「地大豆醤油」、「地大豆柚子醤油」などを開発。

木下祥平イメージ

後継者木下祥平

(昭和62年)1987年11月10日誕生。
20歳で帰郷し松岡屋に就職。
HP、ネット通販を開設。長野県最速、抗酸化(密封)ボトル商品を開発。